カルティベイティブプロジェクト ①石川直宏選手の成功のカギとは
スポーツ科学センター副センター長 辻秀一 主催
カルティベイティブプロジェクト
第1回ゲスト 石川直宏氏
「スポーツの文化的価値~コミュニケートとスポーツ」
①石川直宏選手の成功のカギとは
司会 きょうは辻先生が中心となってやられているカルティベイティブプロジェクトの第1回目の対談として、サッカー選手だった
石川直宏氏を招いて、「スポーツの文化的価値~コミュニケートとスポーツ~」というテーマで対談をしてもらいます。
「ライフスキル」の授業を受けている学生がいますが、スポーツは文科系というよりも体育系というイメージがあると思います。
そこに文化的価値がどう存在するのか、よく考えてもらいたいと思います。君らが知っている田臥勇太という選手はプロの
バスケットの第1号の選手ですが、彼も「バスケットボールを文化的価値で発信していきたい」というコメントを先月、新聞か
何かで言っていました。その共通点の価値観を君たちが感じ取ってくれればと思っていますので、きょうは十分楽しんでもらいたいと思います。
では、辻先生、お願いします。
辻 皆さん、おはようございます。きょうは第1回のゲストにふさわしい、ふさわしいかどうかはきょうみんなで決めたいと思いますが、
彼にスポーツの文化性をどのように考えているか語ってもらいつつ、皆さんから質問ももらいたいと思います。サッカー部もたくさんいるので、
サッカーの話も最後にいろいろ聞いてもらいたいと思います。きょうはよろしくお願いします。
石川 こちらこそ、よろしくお願いします。
辻 きょうは、スポーツは文化である、文化的価値ということで、文化はカルチャーで、その語源がフランス語系のラテン語でカルティ
ベイティブという言葉なので、そういうテーマになっているのですが、スポーツが文化だという考え方を持っている人はまだまだ
少なく、石川君はそのうちのサッカー界の一人だと思います。今までのサッカー人生のようなものを、サッカーを全然知らない
学生もいるので、自己紹介を兼ね、どんな人生を歩んできたのか、皆さんに紹介してもらえますか。
石川 初めまして。紹介していただいた石川と申します。選手としては、Jリーグで18年間プレーをしました。出身が神奈川県の横須賀
という場所で、もともと中学、高校は育成のマリノスで育ち、そこからトップに上がり3年目でFC東京に移籍をして、そこから
16年。
辻 FC東京で16年?
石川 はい。これが最後の最終戦で戦ったときですが、2017年に引退をして、2018年、そして、いま2019年はFC東京のクラブ
コミュニケーターというかたちで。これは何なのだろうと皆さん思うと思うのですが、その辺りは話をしていきたいと
思います。
辻 マリノスのユースからFC東京に行くプロセスとか、そこから脱落してしまった人たちも当然たくさんいると思いますが、石川君
はどうやって勝ち残っていったのですか。
石川 実はプロになる前から、自分の中では上に上がっていくのはいつもギリギリな状況だったのですね。中学のときは体の成長が
遅くて小さくて自分の思っているプレーがなかなか表現できない。ただ、Jリーグの下部組織のいいところは、中・高で見てもらえて
いたので。
辻 いきなりそこで切られてしまうわけではないのだ。
石川 はい。実質、プロの可能性は厳しいのではないかということも、高校2年のときに言われたのですが。
辻 言われたの?
石川 大学を考えろ。カチーンときて、「あと1年あるじゃねえか」。そういう中で、中学・高校は結構ギリギリで、本当に最後にプロに
なれるかなれないかという基準を満たせたのが夏の全国大会前で、それまでは試合に出ていなかったです。
辻 そうですか。
石川 しかも、高校3年生のときにちょうど、皆さんご存じかどうか分かりませんが、もともとフリューゲルスというチームがあり、
マリノスとフリューゲルスが合併しました。
辻 あれは大きな事件ですね。
石川 だから、2チームが1チームになり、実質その競争も2倍になる中で、自分は出られなくなり、たまたま僕と同じポジションの選手が
全国大会の前にけがをしました。
辻 たまたま?
石川 僕はたまたまではないと思います(笑)。
辻 ユースの頃は、どんなことを支えにやっていたのですか。つまり、どんなことをしてプロに行くという目標が支えだったのですか。
それとも仲間が支えだった? 家族が支え? または、ただの気合や根性だった? 何が支えとなり、やり続けられたのですか。
石川 当時はもう自分のことしか見ていなかった。その余裕がなく、見られなかったです。
僕のその夢が目標に変わったのは、小学校6年生のときで、その時に今のJリーグができました。当時、国立競技場で、それこそ
マリノス対ヴェルディの開幕戦があり、僕はたまたまチケットが手に入り、6万人ぐらいいるスタジアムのゴール裏にいました。
そしてカズさんや、当時ラモスさんと北澤さんとか水沼さんとか、いろいろな有名な選手たちがそのピッチでキラキラしている姿
を見て、僕は「プロになりたい」というスイッチがパーンと入って。
辻 そのプロになりたいというのが、大きな原動力ですか。でも、いつも壁がやってくるじゃないですか。ギリギリの壁や、うまく
いかない壁や、けがの壁など、いろいろな壁があり、例えばその中で成長することに対する貪欲性とか、目標を達成していくこと
への何かエネルギーのようなものは持っていたの? サッカー愛とか?
石川 もちろん、サッカーも大好きでしたし、自分はサッカーで生きていくという目標を定めていた中で、自分がその目標を達成する
ためにやっている
こともそうですが、自分がやってきた積み重ねを自分で肯定していきたいと。ここで怪我とか、成長が遅くてとか、チームが合併して
自分がプロになれないとなると、自分のことではなく、周りのいろいろな作用でそれができなくなる。それは悔しいから、何か来た
ときに、毎回、自分がどうにかして、その可能性を広げていく。プロになる前にその過程を踏めたのは本当に大きかったです。プロの
世界でも同じことなので。
辻 そうだね。同じことですね。
石川 はい。
辻 それに早く気づけたきっかけは、出会いとか、そういうことを示唆してくれる大人というか、そういう人はいたの?
石川 いました。僕は身長が伸びなくて伸び悩んでいた時期や、ちょうど身長がギューッと伸び、故障が多くなり、そのときはヘルニアか
分離症をやっていたのですが。
辻 いろいろやっているね。
石川 そこでどうしようか。自分はけがの知識もない。そのとき、マリノスのトレーナーの方が、全体も見ていますが、僕の悩んでいる
姿を見て、1冊の本を渡してくれました。それがジム・レーヤーの『メンタル・タフネス』で、それを読んですごく救われた部分も
あります。
辻 ジム・レーヤーはテニス界の有名なメンタルトレーナーの先生ですよね。もう何年も前の先生ですけれどもね。それに興味をもち、
高校生、中学生ながらに読み、得るものを得たのだね。
石川 そうです。そこで、今も自分の座右の銘ですが、「平常心 それは偏らない流動自在な心の状態」。
辻 いいね。
石川 宮本武蔵ではないですけれども。
辻 フローな感じだね。
石川 まさにそうです。そこで自分が気づきました。フローとか、もっとグッといくとゾーンになりますけれども。
辻 心の内示性をそこで感じ取ったということだね。
石川 苦しいときに、それを感じることができたというか、苦しいときこそ、そういうものが見つかりやすいというか。
辻 でも、いろいろな本にしても出会いにしても、みんなの前にあるけれども、苦しいときに取らない人も多いよね。
石川 そうです。「チャンス」と僕は言いますが、それに気づけない。なぜ気づけないのかというと、自分がそういうマインドではない
からだと思います。そのマインドで常に自分がいることが大事だし、そのマインドは何かというと、もう単純です。学びたいとか、
この人と接したい。しかも、その接し方も上下関係とかではなく、人と人との接し方だとか、そういったところのつながりの中で、
チャンスがいろいろなことが自分の目の前に起こり始めます。
辻 すてきな話だね。
石川 あとは、自分がそのチャンスをつかめる状態でいるかどうかというところです。
辻 そうですね。何かうまくいかないとすぐにブーたれる人や、文句とか愚痴を言って人のせいにばかりしていると、いろいろな
チャンスや気づきが、いっぺんになくなるものね。
石川 そうです。もう全くというか、自分の目の前からなくなる。人としてもそうだし、チャンスとしてもなくなる。だから、自分が
着実に積み重ねていく。そして、そのマインドは自分の中では揺るがない、動じない心の状態の中でいると、不思議とそのチャンスが
僕は、チャンスは皆さん平等にあると思うので。
辻 みんなね。
石川 見つけられるか、自分でつかみに行けるかどうか。
辻 それは自分次第だということね。
石川 そうです。
辻 流動自在、いいですね。流れる、動くに、自由の存在だね。
石川 そうです。
続く・・・